腐ってしまったら

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時間はお金よりも貴重だと言われていますが、今の私には人よりも自由な時間が相当にあると思います。

ですが、びっくりする事にやりたいと思っていたことはほとんど達成できていないどころか、いくつかは手もつけていません。

パートナーに寄生して暮らしているので自分の為に使える時間だらけのはずなのに、前に進んでいない感がすごい。

数ヶ月前にイメージしていた今とはかけ離れた現状に、下落する自己肯定感と戦う日々です。

やりたいこと、やるべきことはいくつもある。

本も読みたい
クローゼットの片付けもしたい
英会話も習いたい・・・

文字にすると簡単なことばかりで、やればいいだけのはずなのに、ここしばらくやることリストのほとんどを終えられないまま眠る日が続いた。

「明日はやろう」がついには「明日もやらないだろうな」と思うようになり、捨てた時間がどれほど貴重なものなのかを考えれば考えるほどに腐ってしまった。

腐ってしまうと朝が怖い

私の場合、目覚めているのにベッドからの一歩が出なくなったらうつが忍び寄ってきたサインだ。

パートナーが朝の身支度をする気配で一旦目覚めて送り出し、8時間睡眠をとれていなければもう一眠り。
次に目覚めたときは何とも言えない憂鬱な気分になっている。

何もできない一日が始まる恐怖でベッドからの一歩を踏み出せずに再び目を閉じると、その次の目覚めはさらに憂鬱で、もの悲しく、虚しい、何とも言いようのない気分になっている。

やっと起き上がってもまず最初に何から取りかかれば良いのか分からず、優先順位の高い課題から逃げるようにどこかの片付けを始め、それすらも途中でやめてしまう。

やり遂げられない日々は失敗体験として積み重なっていく。

意識的なシャットアウト

こういう状態のときは誰かの格言めいた言葉や精神論などを無意識のうちに鵜呑みにしやすい。

もちろんうなずけるようなものがほとんどだし、私自身そういった自己啓発的な語りを聞くのは好きなので、自分のスマホでYoutubeを開けば「挑戦」「継続」「習慣化」といった意識高めの言葉が痛いほど耳に流れ込んでくるようになっている。

しかしそれらを絶対的な正義のようにとらえてしまうと、行動が伴わなかったときに自尊心が保てない。

それでもつい、目や耳があいていると何か情報を入れたくなってしまうのです。

その情報が自分への戒めとしてプラスに機能するうちは良くても、極端に気分が落ち込んだり動けなくなるほど自分を追いつめる要素になってしまっているなら、一度意識的にシャットアウトしなくてはならない。

ムチよりもアメが必要なとき

やっていまいがちなのは、自分をふるい立たせようとして意識や考え方を見直すなど、頭を使ったアプローチをしてしまうことだ。

具体的には、ビジネス系Youtuberの動画を見あさってみたり、何かで圧倒的な成果を出している人とスケールも畑も違う自分との大きく差のある部分だけにフォーカスしてみたり、過去の失敗を振り返るといったこと。

これらは炎症を起こしている部分にムチを打つような行為だ。

それよりも、まずは体にアプローチする=「アメを与える」方が思考をするよりもよっぽど手っ取り早い。

確かに、しんどい思いをした後にご褒美をもってきたくなる心理はあるし、ただでさえ自己肯定感が下がっているところでアメを頂くというのも若干抵抗はある。

それでも結果的に回復が早いと感じるのはのはこの順番なのです。

ここでいうアメに当てはまるものとは体が喜ぶ行為のこと。具体的には、

  • 散歩をする
  • 食べたいものを食べる
  • 銭湯に行く(サウナでととのう)

など。

語呂良く言うと、歩く!食べる!暖まる!です。

おばあちゃんのくれるアドバイスのような、気休めの呪文のような、基本に立ち返るにも程があるような単純さだからこそつい軽んじてしまうのですが、結局は重要なのだと思う。

例えば外を歩くだけ

体を動かしたり暖めることが心を安定させることは分かっていても、それができないレベルで困っているときに「運動する」というのはあまりにもハードルが高い。

そんなときはただの散歩をします。

ポイントは外を歩くこと以外のルールは何も決めないこと。
あくまでただの散歩なので「ウォーキング」にならないように、心拍数を上げようとか、何分以上歩こうとかは考えない。
気になるスポットを見つけたら立ち寄って、疲れてきたら折り返す。
ただこれだけです。

これはあくまで私の場合であって、人によっては湯船に浸かるハードルの方がよっぽど低かったり、食べる行為にハードルなどないという人もいるでしょう。

癒しとなるものにアンテナを張る

歩く、食べる、暖まる以外にも、自分にとってのアメとなるものにアンテナを張り、選択肢を広くもっておくことは、腐った状態からほんの一歩を抜け出すためのとっかかりを増やすことにもなります。
ダイレクトな変化こそ起きなくても、少し後になってそのとっかかりがささやかな起爆剤になっていたかもな、と思えれば儲けもんということで。

ちょっと景色のいい道だったり、一息つける店やそこが混雑しない時間帯、好きな香りや飲み物、マッサージ屋さんなど・・・良かったものは頭の片隅に置いておく。

映画や本、歌詞の入ってくる音楽などは、気づけば頭を使ってしまいかねないので、内容や自分のコンデションを見極めつつ触れていくほうが安全です。

意識を低く持つことが必要なときもある、という話でした。

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