何も決めずに仕事をやめた

この記事は約3分で読めます。

初投稿なので自己紹介になります。

現在32才 女 無職

先の見えない不安より、うっすら先が見えてしまう恐怖の方が勝り、自立の為に続けてきた水商売をぬるっとやめて今はパートナーに食わせてもらって生きています。

以下はあきらめました。

・人に頼らない

・人に迷惑をかけない

・人付き合いの継続

それ以外にもありますが・・・

26才頃に不注意優勢型ADHDと診断されます。それまで学校やバイト先で人と関わるたびに感じていた説明のつかない違和感に納得ができました。かといって表向きに特別な変化があったわけではありませんが、こういう特性があることやそれに名前がついていること、ADHDがハマりやすい落とし穴の存在などを「知った」というだけでストレスはかなり減りました。

落とし穴がないと思って落ちるのと、落とし穴があると分かって落ちるのとではやっぱり違う。「すぐそこにあるかも」と予測するだけで、落ちたときのダメージは少し和らぎます。

自分にとって何が落とし穴になるのか、それはどこにありそうなのかを予測し、なるべく楽に生きるためにも自己分析は重要だと思っています。簡単なところでいうと私は、情報処理速度遅くワーキングメモリは極少なめ、まだまだ思い込みの多さも気になります。何かしらへ依存しやすい傾向もあり、最近はほぼ毎日ぬか床をかきまわしながら晩酌しています。

人の顔や話した内容、みんなが覚えているような出来事を忘れていたりするので、書き留めておきたい事、思い出した事などもブログにしていきます。

私はこれまでメインになっていた夜の仕事以外に、昼間のバイトもいくつかやりましたがそのほとんどを1年前後でやめています。クビもありました。

今でこそ続かなかった原因は分かりますが、当時は「いつか自分に合う仕事が見つかるのではないか」「次の職場ではきっと同僚や先輩と良い関係が築けるのではないか」などと期待し、懲りずに応募していました。

そしてこれはADHDに多いらしいのですが、第一印象を必要以上に良く見せる事ができてしまう厄介な能力というのが発揮されてしまい、学歴不問で人当たりを重視した接客業の面接などはすんなり通ってしまうのでした。

こうして生まれたミスマッチに双方が苦しみます。

ほとんどの仕事は感じ良く笑顔でハキハキと受け答えするだけでは済まず、例えば飲食店では配膳や片付けを効率的にこなしたり、お客さんから受けたオーダーを厨房へ正確にとおしたり、急に入って来たお客さんの案内をしたりと、やる事はたくさんありました。しかもその時どきで取り組むべき事の優先順位はころころと変わり、それに対応す臨機応変さも必要でした。

当然ボロボロなので、みんなはじめは おやおや? となり、やさしい人は私に「天然」や「不思議系」というキャラ付けをしてくれますが、キャラという枠をも大きく飛び越えるやらかしっぷりで周囲は次第に困惑し、それを通り越し呆れられ、どんどん居づらくなって最終的にリタイアします。

この流れはテッパンでした。

私は今まで正社員として働いた経験がないのですが、一度契約社員として働いたことがあります。今までと比べて圧倒的に事務作業の多いその職場でやっと「さすがにこれはおかしい」と自覚しはじめ、当時ネットで見かけるようになっていた大人の発達障害を疑い検査。セカンドオピニオンを経てADHD(不注意優勢型)という診断に落ちつきました。

具体的なやらかしや検査の内容はまた書こうと思います。

結局一番長く続いたのは水商売でしたが、決して向いていたわけではなくちゃんとできてはいませんでした。なのになぜ約10年ものあいだ、つな渡りのように続けることができてしまったのかについても、また書いてみようと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました