「仕事で泣くな」は正論なのか

未分類
この記事は約3分で読めます。

よく「仕事で泣くな」とか「職場で涙を見せるべきではない」といった意見を聞く事がありますが、私はそれに対してぶっちゃけ(何がダメんだろう?)という疑問を持ったまま社会人をあきらめました。

社会人が上司に叱られて泣く姿が見苦しいという感覚もないし、コントロールしきれない場面もあると思うのです。

回避できない生理現象

私自身、過去仕事中に泣いた事は何度かある。

主に接客業でしたが、泣く場面のほとんどは対上司で、言うまでもなく自分のやらかしが原因で説教をくらう状況がほとんどでしたが・・・

迷惑をかけて申し訳ない気持ち、思ったようにできなくて悔しい気持ちなどがふくれあがり、相手の厳しい(または優しい)言葉によってそれが解放されてしまう瞬間は、止めたくても止められない生理現象だと思うのです。

涙の解釈

おそらく「仕事で泣くな」という言う人の心境としては、(自分の指導のせいで泣かれるとそれ以上言いにくくなる)(こっちだって本当はこんな態度とりたくない)といったところだと思う。
実際、私が叱られて泣いてしまったときに言われたことでもある。

確かに、指導してもらう側であるからには指導する側への配慮も必要なのは分かります。

ただそれでもこらえきれない涙はどうにもできない。
これが指導する側への配慮を怠ったことになるのだろうか。

しかしそこをこらえきれるかそうでないかによって指導内容が深くも浅くもなるとしたら、涙もろい方が損もしやすいということになる。

涙の種類


職場で見かける涙にも種類があり、目標に届かなかったときの悔し涙や目標を達成できたときのうれし涙などはそこまで煙たがられないし、むしろ美しいとさえされている。

いっぽう叱られたり厳しく指導されたときに流す涙はやはり嫌煙されがちです。

叱られて泣くのがズルいという人はおそらく涙を盾に使われたという感覚があり、相手のリアクションを100%純粋には受け取っていないのでしょう。

演技だとでも言いたいのか分かりませんが、こらえようと思ってもこらえられないタイプの私からすると涙をコントロールできる方がよっぽど演技派だと思う。
また、それがうらやましくもある。

スルーしてくれる人

本当に伝えたい内容なら、相手が泣こうが気負うことなく言えばいい。
相手が泣くから言えないのならそこまでの重要度でしかないのだど思う。

私が説教をくらい泣いた職場には、ただただ本質的な指導だけをしてくれる上司もいました。
直属ではなかったので指導される頻度は少なかったものの、本当に無駄のない伝え方で、間違えの指摘も指示の仕方も淡々としていて、こちらが泣こうが動揺しようがそれについては一切無視してくれました。

ADHDの自覚がまだなく涙腺が不安定だった当時の私はこの態度にとても救われ、また、要点だけを話してくれる生産性の高いコミュニケーションの取り方がこんなに心地のいいものなんだと感じたのを覚えています。

個人的な見解

やはり思うのは、

  • コントロールしきれない涙を責めても仕方がない
  • 涙の意味を複雑に解釈しない
  • スルーしてOK(むしろありがたい)

といったことです。

職場に涙もろい部下や後輩がいたらちょっと上記について考えてみて下さい。

以上、社会人をあきらめたアラサーADHDがお伝えしました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました