子供の頃は何でも実験したくなる性質がありました。
「これをさわるとこうなるからね」と事前に教えてもらっても、実際に確認してみないと気が済まなかったのです。
誰でも小さい頃は好奇心旺盛だし、「やるな」と言われたことをやりたくなる心理は理解できると思います。大人になってから不注意優勢型と知った私ですが、衝動性(+多動性)もありました。
私が生まれ育った団地の玄関には、靴箱の上にビー玉のたくさん入ったビンが飾ってありました。ある日、ふたのないビンの中でホコリをかぶったビー玉を、洗い物のついでにシンクで掃除しようと思った母は、そのビンを台所まで持ってくるよう私に言いました。両手でそれを台所まではこび、母が残り少ない食器を洗い終えるのを待つあいだ、重たいガラス瓶にぎっしり入ったビー玉をぼーっと見つめていたときです。
「落としたらわれて大変だからちゃんともっててよ」
母に言われた忠告が私の好奇心を大いにくすぐりました。
本当にわれるだろうか?ビンが?ビー玉が?どんなふうにわれるだろうか?
そんな出題をされたら実験せずいられない私は「うん、わかった!」と返事をしたあと両手をはなしました。
当然ですがビンは砕けて中にぎっしりとつまっていたビー玉は台所の床に散乱しました。
たしか小学校低学年くらいだったので、もちろん言葉の意味や母の言っていることが分からないわけではなく、そのときはただ結果を確かめたい衝動が勝ちました。
この光景をはっきりと見ていた母は唖然としたのち、叱ろうとしたけれど、もうびっくりの方が勝ってしまったようで、笑いながら声をあげていました。
私の名前を呼んだのか「ちょっと!」だったのか「なにやってるの!」だったのかは覚えていませんが・・・
これは母がいまだたまにひっぱりだしてくるエピソードです。
他にも幼稚園のとき教室で折り紙をするはずの時間に一人で運動場のブランコをこいでいたり、運動会でみんなが体育座りで整列するなか急に一人立ち上がってキョロキョロしたり・・・今では母も笑い話にしていますが、当時はそのような行動を心配した先生からの指摘に(このままの調子で大人になってしまったら・・・)と不安に思ったそうです。
結果として、大人になるにつれてこの衝動性や多動性などの分かりやすい症状は落ちついていきました。
というか見えづらくなったという方が近いかもしれません。周囲の目があまり気にならない幼少期は、自分がみんなと違ったことをしていようがお構いなしでしたが、だんだんと恥ずかしい思いをしたり、怒られたりした経験が積み重なり、自然と衝動を抑えるようになったのだと思います。
それでもコントロールできないのが不注意で、分かった今でもミスをなくす事はできません。もはやどうやってミスをリカバリーするかを考えた方が近道です。
私や私より上の世代には「子供のころなんてそんなもん」で済まされてきた人たちもたくさんいて、母もそんな中の一人だと思っています。
この障害に遺伝があると知ったとき、母の特性もまた私の症状と一致する点が多かったので、すぐにつじつまが合いました。本人には確認していません。また、私も母に自分の事を伝えていません。
今は発達障害に関する情報もたくさんあり、私が調べはじめたほんの5〜6年前よりも格段に増えている印象です。テレビでの特集も珍しくなく、ネットにふれる人なら誰でも知っているテーマだと思いますが、これを自分ごととしてとらえられる人がいったいどれだけいるのか分からない。母に自分の障害や遺伝について話したとき、はたして自分ごととしてとらえてくれるのか、どれくらい理解してくれるのか、少し怖くてまだカミングアウトはしていません。
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