はやめに辞めてよかったこと

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最近になって、はやめに辞めておいてよかったな、と思う事があります。それは、

「人付き合いを継続する」

ということです。

むしろこれは、やめたというよりできなかったという方が正しいので、正確には「人付き合いを継続しようとする」かもしれません。


人付き合いにもいろいろありますが、振り返ってみると今まで「本当になくなったら困る付き合い」はほとんどありませんでした。

これを捨ててよかった理由は2つ思いつきました。

一つは、「自分のための付き合い」より、「相手のための付き合い」になってしまいがちなので時間も頭も消耗してしまうからです。
人に迷惑をかけ続けた体験が積み重なっているせいか、対人関係で引け目を感じやすかったころは特にそうでした。

もう一つは、人付き合いには「暗黙のルール」が存在するからです。
人間関係に明確なルールはないのにもかかわらず、ほとんど人が、言ってはダメなことや聞いてはダメなことを理解しています。これが苦手だった私はこの「暗黙のルールに」つまずきまくりでした。

おそらく、私が初めて「人付き合い」を経験した場所は中学校だったのではと思います。


そこではみんな「休み時間を誰とどう過ごすか」や「給食を誰と食べるのか」というのが大きな課題になっていました。たしか小学校では決められたグループ、決められた机の配置で給食を食べていたので、中学校に上がったとたんいきなり与えられた選択の自由に戸惑いました。

みんながみんなの様子を見ながら「暗黙のルール」にのっとり、グループが形成されていくのですが、この、一度属したグループ(なにをもって属したというのか謎ですが)ではそれ以降も同じメンツで行動を共にしていく、教室移動や給食の時間、誰かのトイレにまで一緒についていく(介護か!笑)という縛りがとても苦痛でした。

また、グループの中の誰かが人の悪口などネガティブな発言をする事に、自動的に参加してしまっているという感覚、ときには賛同してしまう自分に嫌悪感もありました。

高校では意識的に「参加しない」ことで自分の身を守り、30代になった今ではどこにも「所属しない」という最強の術を手に入れました!

人付き合いの継続を意識しなくなった事で失ったもの

・惰性で過ごす時間
・「暗黙のルール」が読めないストレス

この、惰性で過ごす時間ほど無駄なものはないなあ、と思う今日このごろです。

多分、そこにいる大半が早く帰りたいと思っていて、多数決で決まった当たり障りのない店で、(一人だったらあの店で食べたいのに・・・)と心の中でつぶやきながらそれほど食べたくもないものを注文します。
それを食べながら聞きたくもない誰かの愚痴を聞いて、同調したくもないのにそこに参加していることで(同調してると思われててるのかな・・・)と無駄にヒヤヒヤしたりして疲れるだけです。

人付き合いの継続を意識しなくなった事で得たもの

・自分の為に過ごす時間
・自分にとって心地い人付き合い

最後のは「結局人付き合いしてるじゃん」となりそうですが、これは自分にとって必要のない付き合いを排除することで、自分にとって本当に心地よい人間関係、必要としている人が洗い出された結果だと思います。

今後も人付き合いを増やしていこうとは思いません。もしそれでも関係が続いていた人が、私にとって重要だと思うからです。

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