自分の終活も困難なのに親の終活を手伝っています。
というか口をだしています。
実家は注意力散漫な母と、やや衝動性の強めな父の二人が暮らしているのですが、まあ〜〜とにかくものが多いのです。
それでも二人は、生活しやすく便利になるように、と考えているらしいのですが、その結果、ものを買ってしまします。
一方、私は同じことを考えたとき、基本捨てるという真逆のやり方をします。
両親にっとてはこれがむずかしいようで、
「いつか使うかもしれないから」
「このスペースにシンデレラフィットしているから」
「思い入れがあるから」
などと手放せない理由を無限に繰り出してきます。
ですが、最後にいつ使ったのかを聞くと、もはや遠すぎて答えられなかったり、それがあったことすら忘れていたりもします。(それでも残そうとする)
つい最近も、普段ほとんど手をつけない押し入れの断捨離を(半ば強引に)手伝ったところ、「欲しくて買おうとしていたものが出てきた!」といって喜んでいました。
自分の欲しいものですら家の中にあることを把握できていないのです。
私が押し入れを開けなければ、数日後には既に持っているもののために、またお金を使うところでした。そうしてものが増えていき、それを収納するためのケースや棚をまた買い足す、というループ。
必要のないもののためにまた必要のないものを買い足しているだけです。
なのでたまに実家で過ごすと部屋の中のいたるところが気になってしまいイライラ・・・
正直あまりくつろいではいません笑
心の中でも外でも、
(この収納はまるで意味をなしていない)
(CDのコーナーはいったいいくつあるの?)
(インテリアのつもりなのか謎の空きビン多すぎ泣)
などのツッコミが止まらない。
そんな実家で暮らす二人は最近、「終活」という言葉を使うことがだんだんと増えてきました。
私は両親の終活に大賛成で、普段からよくすすめています。
しかしこのテーマをブラックジョーク的にとらえてブラックジョーク的に返されるたびに、やはり「終活」への考え方がずれていると感じます。
私が終活をすすめるのは、なにも親が死んだ後に楽をしたいからではありません。
身辺整理をすることで、今後の人生において本当に重要なものを再発見するかもしれないし、そうすればこれからをもっと有意義なものにできるかもしれない。
残された人たちのことよりも、自分のためにやってほしいのですが、それがなかなか伝わりません。
と、こんなことを言っている私の終活もまた、ツッコミどころが満載な実家のような仕上がりで、課題がとっ散らかっているのですが、・・・ここではとりあでず棚におきます笑
物事を最後までやり遂げることがむずかしい私たちは、終活を納得のいくところまですすめるのがとても困難です。
さらに生きている以上、常に状況は変化し、それに合わせて終活もアップデートしていかなければなりません。そこで、
そんな私たちが終活においてどのようなことを意識していくべきか再確認してみました。
・ものを手放す基準を明確にする
・できるだけ身軽になっておく
・自分の欲求に遠回りしない
これらはADHDに関係なくトレンドになっている思考ではないかと思います。
ものを手放す基準を明確にする
「残すもの」と「それ以外のもの」に分けるための基準をできるだけ明確にしておきます。また、できるだけ手放すことが前提です。
そのためにまず最初に捨てるべきなのが、
「所有」=「豊か」という発想です。
これは世代間ギャップによるところも大きく、まさに両親はこの発想を捨てきれていません。
「手放す」ことを無条件に恐れ、「所有」することで安心感を得ているのですが、本人たちはその「所有」によって、お金や時間、見通しの良さなどを「手放している」ことになかなか気づけません。
この家に生まれ自然とその価値観で育った私自身も、自立してしばらくは同じような状態でしたが、今後(ほんの一歩先でも)のいきやすさを考えるよになると、自分の価値基準も明確になっていきました。
具体的には以下のような基準で分けていきました。
・1年以上使わなかったもの
・部屋着・インナー・タオル・食器などの予備
・人からのプレゼント
1年以上使わなかったものは今の自分にとって必要のないものです。
カバンやくつ、楽器、家電なども、手に入れたコストは無視し、使ったかどうかで判断します。
たとえ100円均一で買ったペラペラのポーチでも、使っていれば必要なので残します。
さらにその中から予備としてとってあるものも捨てます。
部屋着やインナーはいくらあっても困らないと思っていましたが、日常で使う量はだいたい決まっています。
イレギュラーがおきたらそのときに追加し、その分古いものを捨て循環させます。
そして、使うことはないけれど、捨てるとなると自分の道徳に訴えかけてくるので、いつも迷っては結局引き出しの奥に戻してしまうプレゼント類・・・
しかしこちらも感謝をしつつ捨てます。(慣れます)
このような基準が固まるほど、いちいち立ち止まることがなくなるのでスムーズに断捨離できます。
また、自分にとって必要なかった、むしろ足かせになっていた、と分かれば捨てるストレスも0です。
やみくもに作業をはじめる前にしっかりと基準を決めておけば、後は頭を使わず淡々と作業するのみ!
できるだけ身軽になっておく
自分にとって正しくものを手放すことができるようになれば自然と身軽になっていきます。
私の場合、仕事と部屋を捨てることでさらに身軽になりました。
主にパートナーの部屋と実家を行き来しています。
もちろん条件に恵まれたから選ばれた生活ではありますが、このために今までもっていた一人暮らしへのこだわりや、自立へのかたくななプライドを捨てなければならなかったのも事実です。
それは守ってきたものに価値が無かったと認めるようで、とても勇気のいることでした。
でもそうしたおかげで余計な人付き合いはなくなり、ストレスも減り、一人暮らしのときよりも自分のために使う時間が増えたことの方がよっぽど価値があると思っています。
誰への忖度も、誰の意見も介入しない自分のためだけの選択は、身軽でなければできません。
ただ、どちらも自分で契約している部屋ではないので、状況が変わればいつでも対応できるように自分の荷物は90㎝幅の押し入れ上段にぎゅっと収まる量まで減らしました。
自分の欲求に遠回りしない
これまでの2つはまさにこのためにあり、終活の本質だと思います。
必要なものだけを残すことで視界が広がり、フットワークも軽くなると、やってみたかったことに手を付けられるようになります。
というより、「ほかにやることがあって手が付けられない」といった今までの言い訳がきかないので、自分の欲求にダイレクトに向き合うしかなくなります笑
私も小さなことばかりですが、いろいろと手をつけはじめました。
結論としては、終活そのものを生活にするのが一番ではないか、ということです。
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