親しい相手へのカミングアウトは必要か

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私は同棲しているパートナーにADHDと診断されたことはカミングアウトしていません。

言ったら多分「みんなそうだよ」という例のフレーズで返される気がします。

パートナーを信頼できていないと思われるかもしれませんが、私はこのフレーズで返す人に私を理解してもらえるような説明をする自身がありません。

カミングアウトの必要性

実際に、最後に勤めていた職場(ラウンジ)の上司に自分のことを「人よりもかなり忘れやすいです」と説明したところ、やはり「みんなそうだよ」と返されました。
また、「だから忘れないように対策をするんだよ」とも。
私はそこで「その対策すらも忘れてしまいます」とまでは言えませんでした。

「忘れやすい」に対してつかわれる「みんなそうだよ」という返しをひもといてみる。

忘れるなんて誰にでもあること
みんなが努力によって忘れない状態を維持している
この状態を維持できないのはあなたの努力不足だ

たいていこんな意味合いが含まれているのではないでしょうか。

こう思っている人に、人よりも度を超して忘れやすいのが自分の特性だとわかってもらうのは難しい。
かといって「ADHD」や「発達障害」という表現を使うことが、単に特性だけを伝えるよりインパクトを持ってしまうのも事実です。

相手は職場の上司なので親しいわけではありませんが、尊敬もしていて力になりたい対象でした。
そんな相手に、人よりも忘れやすいのが自分の特性だということを理解してもらえそうにないと悟った私は、なるべく早くここを離れなくてはならないと思ったのです。

カミングアウトによってむしろ自分と組織の間に壁ができ、お互いが不健康になるようではそこにいる意味がありません。

もともと1、2年でやめる予定だったのでもちろんこれが理由ではないものの、職場から離れる決断を早めてくれるきっかけにはなりました。


カミングアウトによるリスク

先ほども書いたように「ADHD」「発達障害」などの表現は、単に特性だけを伝えるよりもインパクトを持ちます。

ADHD、ASD、発達障害、凹凸、個性、特徴、特性 etc

当事者であっても上記のような表現には好き嫌いがあり、解釈もまちまちです。
そのため、説明に特定のワードを使うことが賭けになり、関係性を変えたくない相手にほどカミングアウトにリスクを感じてしまうのです。

もちろん数年前に比べれば話題になることも増え、認識ははるかに広がったものの、理解が深まったかというとそれはまた別の話になります。
当事者である私ですら診断を受ける前よりも実態は複雑だと感じていて、こうしてブログを書きはじめてから自分がこのテーマについて勉強不足だったと気づいたくらいです。

自分の特性を伝えるだけにとどめる

例えば飲食店で働いていて、その日のメンバーで協力し合い閉店業務を終えなければならないとします。

自分が不得意な集計作業を引き受けることで全体の効率を下げている、閉店業務を長引かせると分かっている場合、

「私はADHDなので集計作業ではなく後片付けのほうを任せてほしいです。」
「私は計算ミスが多く集計作業に時間がかかるので後片付けのほうを任せてほしいです。」

2つの言い方で、配慮を求められた側がより納得できるのは後者ではないでしょうか。

ADHDといっても特性の出かたは人によって違います。
数字の計算でミスが絶えない、いくら気をつけていてもグラスなどの食器類を割ってしまうなど、得意不得意はそれぞれなのです。

にもかかわらず、はなから「ADHDなので」という前者の言い方ではあまりにも説明不足です。
相手に発達障害への理解や知識があったとしても、それだけでは自分の特性を伝えたことにはなりません。

それよりかは「計算ミスが多い」「時間がかかる」など、自分が弱いと分かっている項目をなるべく具体的に伝えるというだけにとどめておきましょう。
カミングアウトが相手にとって余計な情報になり、閉店業務を効率的に終えるという本質を見えづらくしてしまうかもしれません。

自分にメリットがあるかどうかで決める

カミングアウトによって配慮が得られる
理解してもらえると分かっている

こういった相手にだけ打ち明けるのが、なにかズルいことのように感じて自分に問いかけたことがあります。
ですが、自分が誰に打ち明けるかは自分の好きにで選んでいいはずです。
職場や家族だろうと、自分にとって都合が悪くなりそうなら打ち明ける必要はありません。

また、カミングアウトについて悩んでいる人であれば、対象の相手と親しいかどうかを基準にするのが危険なことは分かると思います。
やみくもに打ち明けても目的がなければ(で、どうしてほしかったの?)となってしまうので、「○○なので○○してほしい」のように具体的な配慮を求めると相手も対応しやすいでしょう。

まわりは以外と気づいているかも

まわりに知られていないことを前提にここまで書きましたが、実は気づかれているというパターンも十分にあり得るなと思っています。

YouTubeでADHDについて発信されている方の動画なんかを見ていても、勇気を持ってカミングアウトをした相手にあっさり「知ってたよ」と言われて拍子抜けした、というエピソードはちょくちょくあります。

これだけ認知されていることから、一度は周囲の人に当てはめて考えたことのある人も多いはずです。
私自身、当事者だから余計にそうなのかもしれませんが、やっぱり自分と似た特性を持つ人には目がいきますし、(多分そうだな)と意識して見ている人は結構います。

そしてわざわざ本人に確認などしません。

となると誰にも気づかれていないと考える方が不自然な気がしますよね・・・

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