「標準」という障害

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母は私を育てるのに相当苦労したのではないかと思います。

なにせ私と同じような特性があるので。以下が特に共通しています。

・興味や関心の移り変わり

・思い込みによる勘違い

・こだわりが強い

・忘れ物が多い

子供の頃はまだ、この辺りについてまわりの大人や先生に指摘されやすい。でも大人である母は、きっと私ほど人から指摘もされないし、怒られることもないので余計に大変だったと思います。(怒られてなおるわけではありませんが)

親なんだからできてあたりまえ。みたいなプレッシャーを自然と背負っていたはずです。私は子供をもったこともなく、ほしいという願望もありませんが、当時の母の状況を自分に置きかえてみたら本当におそろしい・・・

私には双子の弟がいて、小学校のころはクラスもずっと一緒でした。学校でもらう提出物などの存在は大抵弟を介して母が知り、私に確認があります。そこで思い出したその提出物を学校に忘れている事にまた気づき、途方に暮れるのが日常でした。

結局このようなフォローを差し引いても忘れ物はほかの子より酷く、どのクラスでも安定して「忘れ物大王」的なあだ名がつきます。そして、ありとあらゆる落とし物は、まず持ち主である可能性の高い私のものに確認が入るようになります。(実際確認するとだいたい私のものだったりします)コミュニティにもよりますが、大人になってからもこのシステムは定着しがちでした。

このように、私はまだ年齢的にも、まわりから助けてもらえていました。でもそんな小学性の私を指導しなければならない母もまた、私のような特性がある。あの当時、まわりからの助けが本当に必要だったのは母なのではないかと思う。

「あたりまえ」というハードルは自然にそこにあるものなので本当に厄介です。

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