何かものごとを進めるときに、決められた手順を踏みたくなります。
ショートカットが可能なことでもわざわざ順番どおりに進めようとしてしまうところがあります。
もはや遠回りなのは分かっていても不安なのです。
世間でいわれる「仕事ができる人」とは、多少のルールを無視しても最短ルートを選べる人のことだと思っていますが、私はというと最短ルートを選ぶのが苦手です。
理由には、
- 自分の判断に自信がない
- 失敗したくない
- こだわりが出る
などがあります。
自分の判断に自信がない
基本、自分の勘を信用していません。
例えば(この行程ははしょってよさそうだな)とか、(ここの順序入れ替えた方が楽そうだな)などと思ったとき、それをすぐに取り入れられる人はいます。
しかし私の場合勘違いが多いので、同じように自分の判断に頼ると人よりもやらかしてしまいがちです。
これを繰り返してきたので、たとえ自分の勘が的を得ていて「これくらいは我流でやってもいいだろう」というレベルのことでもマニュアルを優先したい衝動に駆られます。
失敗したくない
近くにいる人からのアドバイスを鵜呑みにしたり、両隣のやり方を真似てショートカットなどを試みたりすれば大抵自分だけ失敗します。
学校や会社など、まわりと同じように成果を出さなければならない場面では、失敗そのものも評価を下げますが、それによって発覚する「勝手にマニュアルを無視した」ことに対する不信感の方がダメージとして大きくなることも・・・
ただでさえ信頼を減らしていく人種なので「もうこれ以上失敗したくない」という思いが強くなり、場面によってはプラスを生む可能性を捨ててもマイナスを生まない安全性を選びたくなるのです。泣
また、ちょっと違うかもしれませんが、みんなで一緒にルールを破ったり口裏合わせに協力したりするのもとても嫌いです。※真面目だからではなく、自分が台無しにしてしまうオチが見えているため
こだわりがでる
ところが、もし失敗しても叱られない、もしくは人に迷惑がかからない場合ですら手順に固執してしまうこともあり、例えば料理のレシピや組み立て式家具の説明書を見たときなどがそれにあたります。
材料や行程を自由に決めて作る料理ならまだスムーズにいきますが、レシピが絡んでくるとそうはいきません。
私にとって、レシピや説明書には手が止まってしまうような罠がたくさん張られています。
先日もレシピを見ていた際、混乱する箇所がありました。
- 塩 ひとつまみ
- 胡椒 ひとつまみ
- ヨーグルト 少々 (←コレ)
胡椒の「ひとつまみ」という表現も本当は嫌ですが、それよりも不可解なのがヨーグルトにおける「少々」という表現。
私はこのせいで頭をかかえてしまい、結構な時間立ち止まりました。(これは料理初心者あるあるなのでしょうか・・・)
他にも、はじめて破談線(実際の見た目を省略した図の表現)というものに遭遇したときは、その存在を知らなかったこともあり、理解できずに相当苦しみました。※当時ググる習慣がそこまで無かったのもダメですが、大抵の人はググらなくてもピンとくるのでは。
意識するようになったこと
厄介なのは、不必要に立ち止まっているうちに欲しい結果を見失ってしまうことです。
例えば80%で正解とされるものごとにおいて、100%になる保証がつくまで先に進めないとなると、本来80%に仕上がっていたはずが結局50%や20%などで終わってしまう。
ましてやそれが会社による評価とあれば、80%以下なら0%と同等とされたりするわけです。
こうした損を避けるために以下のことを意識するようになりました。
- ゴールの最低ラインを決める
- 理解できなくても先に進んでみる
- 本当に守るべきルールか考える
ゴールの最低ラインを決める
それを評価するのが会社なのか、自分なのか、もしくは誰も評価しないのか。期限はいつまででなにをもって正解となるのかを考え、最低限ここまでできればOKというラインを引きます。
ここはくれぐれも最低ラインです。
例えば、会社によって評価される資料を作る場合、内容が薄くても期日までに完成していればゴール。自分だけが食べる料理を作る場合、おなかに入ればゴール。くらいの可能な限り低〜〜い設定をする心がけが大切です。笑
やっていくうちに(これも足せる!)(もっとよく仕上がる!)という欲は抑えて、まずは設定したラインに到達することを最優先にします。
理解できなくても先に進んでみる
読解力の乏しい私は図や解説を一度で理解できなかったり、ひどいと何度見返しても理解できないことがあります。
そうなると以前はそこで立ち止まったまま考え込んでしまい、理解できるまで次のページを見ようとしませんでした。
でも結局は次のページに手がかりがあったりして、(なんだ、もっと早く見切りをつけて一旦ページをめくってみれば良かった)と思うことがあります。
文章にすると当たり前のようですが、視野が狭くなっているときは意識しないと気づけませんでした。
本当に守るべきルールか考える
ルールにとらわれすぎる節があると自覚をしたことで、それは本当に守るべきルールなのかどうか一度考えてみるようになりました。
すると、案外守らなくてもいいものもあり、実は失敗してもいい案件や失敗かどうかは自分次第な案件に対して慎重になりすぎていたところがありました。
これを考えることで、欲しい結果に対し無駄に力を注ぎすぎないようバランスをとることができます。
意識するようになって
26才で発達障害にたどりつき情報収集や自己分析をはじめるまでは、自分の読解力が乏しいことにも、とある場面でこだわりを発揮していることにも無自覚でした。
よって、あれもこれもうまくいかない原因が自分にあるなんて思っていなかったのです。
また、私は勉強のできない真面目タイプだったので、特に子供のころは「ルール = 守る」という発想に疑問を抱くこともありませんでした。
しかし「ルールを破る」ことはときにものごとを円滑にするし、解決を早めてくれることもある。
そう分かってからは、昔よりもルールを破ることやルールを破る人のことを許せるようになりました。
むしろ問題を提起し自ら根拠を導きだしたうえでそうしている人はカッコイイ。
なんだか煮詰まってきた。同じところに立ち止まってなかなか先に進まない。そう思ったときは、守らなくてもいいルールにとらわれていないかを探してみるのも手です。
コメント